2025-06-19 08:22:00

グリーンベルト

これから暑くなる日が続くことになるだろう。 夏といえば、海水浴、かき氷をイメージするのは私だけだろうか。 小学生の頃、夏休みには穴澗や立待岬へ海水浴へ行ったものだ。 塩っけたっぷりな体のまま、帰りには、近所の駄菓子屋に立ち寄り、 シャーベットを頬張りながら友達をチャリを漕ぎながら帰ったものだ。 帰る途中で、グリーンベルトに立ち寄り、そこで遊具で遊ぶこともしばしば。 そのグリーンベルトは、今や草ぼうぼうとなり、遊具を設置している箇所は 無いに等しいほどの状況に至っている。 そもそもグリーンベルトは、函館大火を教訓にして防火対策の一環で設置された はずである。 今や、グリーンベルトの設置された意義について知る人は少なくなっているかもしれない。 我々が幼少の頃は、そこに遊具が設置され、子供達の憩いの場になっていた。 それが今では、大きな空き地然としている。 ある若い方が、東京から函館のある会社に出向で来ており、話を聞くと、食べ物は美味しいけれども 遊ぶところが少ないという。 彼らの遊ぶという意味は、買い物だったり、何らかの遊ぶ要素を纏った施設的な場所を指して いるようで、確かに、私も同じく感じている。 例えば、衣服や靴を購入するにしても、種類に限りがあり選択肢の幅が少ない。 以前は、様々なメーカーの直営店やフランチャイズ店が存在していたのが、今や、壊滅状態といって いいほど、寂しい街になっている。 観光客のための事業は地元活性化のためにも重要な位置づけであることは理解するものの、 地元民が安心して生活できる場としては、置いてけぼりを食っている気がしてならない。 このグリーンベルトを上手に活用できぬものなのかと、グリーンベルトを見るにつけ思ってしまう。 函館市内のグリーンベルトの延長と総面積は相当のものと思われ、そこを商店街に変化させると 街並みはどんな雰囲気になるだろうかと勝手に妄想している。 人が、買い物する時の購買意欲を掻き立てるもののひとつとして、道路幅は重要ではないかと 思っている。それは、関東方面へ出張した際に、地下鉄等を頻繁に利用するが、駅を出ると、そこには 狭い路地を挟んで商店街が形成され、様々なお店が林立し、歩く人も楽しそうに買い物をしている姿を 目にする。 その路地があと10メートル拡がったとしたら、案外、買い物がしづらく、道幅が広いことから、サッと 通り過ぎていく気がしている。 何ごとも、距離感とバランスが大切であることは、仕事を通じて体感しているわけで、函館市内の街並みを 形成するにもバランス感覚を重視した何らかの取り組みをしてほしいと切に願っている。